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城址・神社仏閣・散策(自然・他)


時折、城址や神社、お寺を訪ねることがあります。また、登山ではなく、自然の中で歩き、発見もあります。
ストックを整理しつつ随時更新していきます。
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松山城

愛媛県松山市丸之内1
天守は江戸時代後期に再建されたもので、現存十二天守の中で最も新しい。

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大洲城

愛媛県大洲市大洲903
大洲城は、四国の伊予国喜多郡大洲にあった日本の城。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城などがある。

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今治城

愛媛県今治市通町3-1-3
今治城は、伊予国越智郡今治にあった日本の城。昭和28年10月9日に愛媛県史跡に指定された。別称「吹揚城」。

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平戸城

長崎県平戸市岩の上町1458
平戸城は、別名亀岡城と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城です。

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宇和島城

愛媛県宇和島市丸之内3
宇和島城は、四国の伊予国宇和郡宇和島にあった日本の城。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。城跡は国の史跡に指定されている。別名鶴島城。

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高知城

高知県高知市丸ノ内1丁目2-1
瓦や壁の色が鷹の羽の色に似ているとして、鷹城とも呼ばれる。江戸時代には土佐藩の藩庁が二の丸御殿に置かれた。江戸時代に築かれた天守が残る現存天守十二城の一つであるほか、本丸御殿や追手門等が現存する。

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松江城

島根県松江市殿町1-5
江戸時代の日本の城。別名千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。

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城井ノ上城跡

福岡県築上郡築上町大字寒田2005-3
宇都宮氏の本拠地であった城址は、自然の巨岩や天然要塞を利用したゲリラ戦が行われた場所であり、三丁弓の険などその模様を垣間見ることができます。

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釜蓋城跡

 長崎県雲仙市千々石町己2529
長崎県雲仙市にあった日本の城。有馬氏家臣・千々石淡路守直員(千々石ミゲルの実父)が城主を務めた。標高154メートルの山城である。

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岩門城跡

福岡県那珂川市山田
岩門城は少弐景資の居城です。1284年(弘安7年)に三度目の元寇に備えて、大宰府を守るために築かれたと考えられています。

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三瀬城跡

佐賀県佐賀市三瀬村三瀬
城山の頂部一帯(標高667m)に設けられた大規模な山城であり、山内(三瀬村・富士町・大和町など佐賀市の北部・脊振)一帯を支配する中核拠点として築かれました。

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基肄城跡

基肄城跡は、天智4年(665年)に大野城跡(福岡県)とともに築かれた日本最古の本格的な山城で、構造上の特徴から「朝鮮式山城」と呼ばれています。

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安岐城跡

大分県国東市安岐町下原3106
豊後・安岐城(あきじょう)は、大分県国東市安岐町古城にある平城です。最初の築城は飯塚城主・田原親幸が1394年~1428年頃に築城したとされています。

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丸山城跡

福岡県糟屋郡粕屋町大隈1175
丸山城は大内氏の家臣で、筑前守護代であった杉連並の居城・高鳥居城の出城として築かれました。

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玖島城跡

長崎県大村市玖島
玖島城は、初代大村藩主大村喜前が朝鮮出兵のときに立てこもった順天城の体験を活かし、三方を海に面した玖島の地に築かれました。

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肥前名護屋城跡

佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
名護屋城は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として築かれた城で、1592(文禄元)年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、7年の間大陸侵攻の拠点となりました。 城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模を誇りました。

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