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神角寺じんかくじ
〒879-6331 大分県豊後大野市朝地町鳥田1354

西の高野山といわれた神角寺


欽明天皇の三十一年に新羅の僧昆手羯摩(ひしゅかつまゆ)が千手観音金像を持参奉安したのが開基となっています。その後清和天皇の御代に聖宝理源大師が真言宗密教寺として中興し、三十六坊を建て多くの学僧が学び、西の高野山といわれるほど繁栄しました。また「神角寺」は、元々「神閣寺」と書いていたそうですが霊地彦山言現の一角に「角」が落ちていたことから「神角寺」の名が付けられたと、縁起に記されています。この神角寺は、平安時代には大野氏が手厚く庇護し、鎌倉時代には大友氏一族によって仁王像奉献や社殿修復がなされ、江戸時代には岡城鬼門の霊地として、中川公の手厚い保護を受けました。


平安・鎌倉両様式を備える本堂


本堂は、単層方形桧皮葺きであり、平安期 鎌倉期の両様式の混在する建築で、明治四十年国の特別保護建造物に指定、昭和二十五年に国の重要文化財に指定されています。 特徴は円柱三間の方形で、柱の上部は内すぼみになっており、肘木は柱の上部とその中間にも設けられ、垂木は平行組になっています。 隅棟の反りは美しく、禅宗建築様式が多分に取り入れられています。 内陣には秘仏観世音菩薩が奉安され十七年毎の開帳、三十三年毎の本開帳が行われます。 脇侍は、右不動明王、左聖宝理源大師となっており、十二天像と四体の懸仏(県指定重要文化財)が安置されています。本堂は、慶長九年、大正十年、昭和六年に大修理が行われ現在に至っています。




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