〒869-2225 熊本県阿蘇市黒川1114 |
縁起
阿蘇山西巖殿寺は、神亀(じんき)3年(726年)、天竺より来た最栄読師(さいえいとくし)によって聖武天皇の許しを得て開かれました。
最栄読師は、阿蘇山の火口の西の洞窟に自ら刻んだ十一面観音を安置し、人々がこれを阿蘇山の西の巌殿(いわどの)と呼んだことが阿蘇山西巖殿寺の由来となっている。
阿蘇山西巖殿寺は、加藤清正公の時代に麓の黒川村(現在の阿蘇駅周辺)に移されました。阿蘇山西巖殿寺の奥之院で、熊本に現存する最古の寺で、約1,300年の歴史がある。
長い歴史の中で、阿蘇地方に伝わってきた「オンダケサンマイリ」の習わしから“縁結び”を願う人々が多く訪れ、また度重なる噴火にも耐えて阿蘇山上に存在し続けることから“厄除け”の御利益があるとも伝えられている。
阿蘇山には、室町時代から戦前まで行われていた阿蘇講「オンダケサンマイリ」という行事があり、最も盛んだったと伝えられる江戸時代には、春と秋の彼岸に山伏の先導で人々が山を登り、火口をお参りしていました。こうして火口をお参りすることを「オンダケサンマイリ」と呼んでいる。
昔は今のように自由に旅行することもできなかったため、農閑期に「寺社仏閣へのお参り」という名目で旅行することを、人々は本当に楽しみにしていたそうです。
古来より山は神秘的なもので、彼岸の行事として山を登るという形態は全国的に多く見られ、阿蘇山では火口詣でが目的とされ、現在の阿蘇山上神社の裏にある「写経ヶ橋(別名を左京ヶ橋)」を渡ることに重きが置かれました(現在では安全上の規制により立ち入りが禁止されています)。
「写経ヶ橋」は溶岩の流れた痕で、ごつごつと隆起しており、蛇腹のような形をしており、心が清らかな者でなければ、この「写経ヶ橋」がまるで大蛇のように見え、渡ることができないといわれていました。この橋を渡ることが結婚の条件とされた時代もあったそうで、特に若い女性には重視されたと伝えられています。
この地方においては、「写経ヶ橋」を通って「オンダケサンマイリ」をすることは通過儀礼であり、これによって結婚の資格を得ると見なされていました。伝承では、「オンダケサンマイリ」で夫婦の契りを交わすことも多かったといわれ、古来より阿蘇は縁結びの山として信仰されてきたと伝えられています。
<阿蘇縁結び 阿蘇山本堂西巌殿寺奥之院HPより>