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平戸城
〒859-5121 長崎県平戸市岩の上町1458

  • 御城印①

  • 御城印②

  • 御城印③

平戸松浦氏は秀吉政権下の天正15年(1587)、 63,200石の大名となった。 文禄慶長の役では約6,000の軍兵を率いて朝鮮半島を転戦し、帰還後の慶長4年(1599)松浦家第26代法印鎮信によりこの地に城郭が築かれた。 これが日の岳城であるが14年後の慶長18年焼失し廃城となった。その後松浦家天祥鎮信は城郭再築をはかり山鹿素行とともに縄張りの検討を開始した。元禄15年(1702) には松浦家第30代雄香棟が幕府に再築許可申請を行い翌年許可を得た。 宝永元年築城普請をはじめ享保3年 (1718) 2月に完成した。これが平戸城(亀岡城) であり、 本丸、二の丸、三の丸外郭より構成され、日の岳の輪郭が利用されている。 総面積17ヘクタールで御殿は二の丸の中央部に築かれていた。築城には延5万6千人の人夫と銀1,180貫が費やされている。

往時の木造遺構としては北虎口門と多聞櫓 (狸櫓) が現存し、 昭和35年より乾三重櫓、地蔵坂櫓、 見奏櫓、懐柔櫓、沖見櫓(現天守閣) が再建された。


環頭太刀
神功皇后の朝鮮半島出陣 (4c頃)に従軍した十城別王の武将、 七郎氏広の佩刀と伝える。 平戸城下の七郎宮から、明治期には亀岡神社に移され、歴代藩主の厚い保護を受けてきた。 柄頭を環状にまるめた鉄製直刀。 水牛の角製の鍔をつけ、竹を馬革 で包んだ鞘を持つ。(国指定重要文化財)


城門破り用砲筒
城門破壊などに持ち運んで、 近距離の狙撃に用いる。


松浦典膳具足
平戸藩重臣の愛用具足で名門甲冑師 増田明珍の作品と伝える。


江上家当世具足
この具足は江上家に伝わったもので、 江上家は 代々平戸藩の茶坊主という家柄であった。 平戸藩には江戸の初めに創始された茶道 「鎮信流」 というお家流があり、 現在なお存続されている。 江上家は茶坊主として、 単に藩主の茶湯係り でなく、お家流茶道の門弟、 伝承者という側面も持ち、 代々その技術を伝承していた。


平戸城北虎口門扉
宝永4年(1704) 築城当時のもので、 北虎口門のくぐり戸であった。この門は、南側に位置する大手門に対し、 北側の守りのかなめであった。


平戸城公式ウェブサイト- 平戸のシンボルとも言える城

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