〒849-1614 佐賀県藤津郡太良町竹崎248番地 |
【御詠歌】わかたけの すぐなるのりの みちありと うきふししげき よにおしえなん
和銅2年(709)、行基菩薩による開基と伝え、本尊千手観音は、札所14番雲巖寺の本尊などと一木同作といわれる「行基七観音」の内の一体。
正式には「補陀落院観世音寺」と号するが、古来より「竹崎観世音」の名で親しまれてきたといい、弘法大師が入唐の帰途立ち寄られてから真言宗となったとされる。 その後、この地は太宰府の管轄地となり、光孝天皇(時康親王)が仁和寺を創建される際、荘園として寄進されその末寺となったといわれる。
鎌倉時代には伽藍も整い、後深草天皇の御宇には公家の勅願寺として、33坊を擁する格式ある大寺となったが、戦国乱世のなかで、坊舎の一つである「平井坊」を除く32坊が消滅。平井坊の頼意法印の勧請で観音堂が再建された。
境内には、鎌倉後期造立のものでは、九州に他に一例しかないという石造三重塔二基(県文化財指定)の他、大永年間(1521~1527)造立の六地蔵、宝塔、五輪塔などの石像物が数多く遺っている。 正月2~3日の「修正会鬼祭」では幼児の童子舞などが行われ、国の重要無形文化財に指定されている。
【本尊】千手観世音菩薩
【開基】行基菩薩
【宗派】真言宗
<九州西国霊場HPより>