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阿蘇山上神社あそさんじょうじんじゃ
〒869-2225 熊本県阿蘇市黒川808-3

阿蘇山頂の火口湯溜まりは、古より「神霊池」とよばれ、阿蘇神のご神体とされてきました。山上神社は火口を遥拝する拝殿のみが佇みます。歴史的に麓の阿蘇神社「下宮」対して「上宮」とよばれてきました。古代、火口は国家祈祷の対象となり、その変異は太宰府を通じて都の朝廷に報告され、阿蘇神の評価を大きく高めました。現在は、6月上旬に活動の平穏を願って御幣を納める「火口鎮祭」がおこなわれています。


阿蘇神社三柱(一の宮・二の宮・五の宮)の神として祀られている。
・北の御池(噴火口) 一の宮 健磐龍命
・中の御池(噴火口)二の宮 阿蘇都媛命
・南の御池(噴火口)五の宮 彦神子命


由緒
社記には「欽明天皇十四年三月(西暦五五二年)阿蘇山火起りて、天に接す。 阿蘇宮の中三社を祀り、社家の内笠忠久として奉仕せむ これを天宮祝と云う」とある。 平安時代初期より神霊池に異変がある度に、九州鎮守府大宰府から京都の朝廷に奉進があり、各社寺に国家安泰の御祈祈禱が命じられたことが国史に記載されている。 当神社へは、特使が派遣され奉幣祈願が行われていた。


社殿
現在の社殿は昭和三十三年の大爆発により被害を受けたためその後、旧内務省神社局技師として活躍した角南隆の設計によって、木造社殿建築を鉄筋コンクリート造で再建されたものである。神霊池である噴火口に向って、 遥拝するかたちで建てられている。


伝説「左京ヶ橋(蛇腹)」
噴火口(神霊池)への登山者は心身を清浄にして登拝することを例としていた。当山上神社裏手より噴火口に至る徒歩道は、往時唯一の火口への路であり、必ずこの橋を渡らなければならなかった。昔、左京某と云う侍がこの橋を渡ろうとしたところ、小蛇が橋のたもとにいたので、武士の行く手を遮り不届きな奴とばかりに、血気にはやり刀を抜いて斬り捨てようとした。すると怨ち雲が湧き風起り、一匹の龍となって天に昇った。さすがの左京もこの一大異変に恐れをなし、それが原因で早死したらしい。
以来この橋を左京ヶ橋と称するようになったという。心悪しき人が渡ると前面の岩が大蛇に見え、渡ることができないという。事実、岩の形態は蛇腹というにふさわしい。また未婚の男女がこれを渡り潔身の証にしたともいう。



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