カテゴリー: 散策(strolling) Page 1 of 3

平田城跡

10月7日 本耶馬溪-競秀峰、耶馬渓橋(オランダ橋)、青の洞門のあと、平田城跡へ。

平田城-白米城(まったけじょう)とよばれる城館跡。

建久年間(1190~1197)長岩城主野中重房が築城したもので、野中氏代々の抱城として、一族または重臣を城主におき山国川流域の備えにあてていた。天正16年(1588)黒田長政は、豊臣秀吉の命により豊前の諸城を落とし、長岩城に迫った。その時この城も攻められたが激しい戦いはしていない。長政は戦功のあった、黒田二十四騎の一人栗山備後利安(大膳の父)に居城として与えたものである。この城下は、田が広く米の生産に恵まれているので白米城と云われ、平田城とは最近の呼称である。黒田騒動で福岡藩52万石を支えた筆頭家老栗山大膳利章が生まれ育った城として有名である。城址は小高く、城としての構想は残っているが、当時のものと思われる遺構はない。(中津市教育委員会)

タデ原湿原を歩く

タデ原(たでわら)湿原は、大分県玖珠郡九重町の長者原にある湿原。

阿蘇くじゅう国立公園内にあり、坊ガツルとともに、中間湿原として国内最大級の面積を有する湿原で、「くじゅう坊ガツル・タデ原湿原」としてラムサール条約の登録湿地となっている。

7月29日、キャンプの帰りに、久し振りに歩くことにした。ヒゴタイは若干早く、碧い蕾とほのかに赤みがかったものが見られる程度で、やはり、ヒゴタイ目当てであれば、8月中旬ごろになるでしょう。

ヒゴタイ
ノハナショウブ
シモツケソウ?
チダケサシ
ハイカイソウ
シモツケソウ
オカトラノオ
ヒゴタイ
ヒメユリ?
モウセンゴケ
キスゲ
サワギキョウ
ミヤマアカネ
ツマグロイナゴ??

福岡県東峰村岩屋の動画をアップ

福岡県東峰村(旧宝珠山村)岩屋(岩屋公園)に行ってきました。 GoPro HERO7 Blackを手持ちで動画を撮ってみましたが、手持ちだからしょうがないか?次回からアスペクト比16:9に変更して撮りたいと思います。

YouTube  GREENFIELD-CLUB.JP-TV

篠栗九大の森・・・ラクウショウ

篠栗九大の森。九州大学の敷地(九州大学福岡演習林)の西端にあり、篠栗町と九州大学が共同で整備、管理を行っている森林地

ラクウショウ(別名・和名はヌマスギ)を観に行ってみることにした。
最近、雨もあまり振らず、山の方にあるダム湖は水がかなり減っている状況なので、ラクウショウの周囲は水位が下がっていると思って、現場に到着してみると、やはり、森の池の水位も下がっており、ラクウショウの周りは水がありませんでした。

6月24日 日本一小さなトンボ・・・ハッチョウトンボを求めて

樫原湿原(かしばるしつげん)に何年振りかな?カメラは一眼は面倒なので、CANONのPowerShot G3XとPowerShot SX60 HSを持っていくことにした。
湿原の水が、かなり減っていた。ハッチョウトンボはいるのだろうか?小さいので見つけにくいが、やっと、見つけることができました。

ハッチョウトンボ(オス
ハッチョウトンボ(オス
ハッチョウトンボ(オス
ウツボ草
ヌマトラノオ?
トノサマガエル
ショウジョウトンボ(オス
セスジイトトンボ?
セスジイトトンボ?
モウセンゴケ
ジュンサイ
ヒツジグサ
ヒツジグサ
ノバラ

大賀ハスを求めて・・・

6月17日 佐賀県 吉野ヶ里歴史公園

大賀ハスとは、昭和26年、千葉市の東京大学農学部検見川厚生農場で、ハス博士といわれた故「大賀一郎」博士(当時関東学院大学教授)が、縄文時代に咲いていた古代ハスの種3粒を発見し、そのうちの一粒の開花に成功したもの。
九州では数か所で観られ、最近になって種を譲り受け、吉野ヶ里歴史公園でも観られるようになった。

ベニバナ
大賀ハス
大賀ハス
大賀ハス
大賀ハス
大賀ハス
大賀ハス

【大分県/大分市】 府内城跡 (大分城址公園)

5月28日

今回のお城めぐりの最後の締めくくりは府内城跡。この後、高速道大分ICに向い帰路に着く。

府内城は、大分市街の中心に位置する梯郭式平城である。安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高が府内の荷落に築城を始めたが、福原氏は改易され、早川長政の府内領再封を経て、関ヶ原の戦いの後に3万5千石で入封した竹中重利が完成させた。大府内城は友宗麟とは関連はない。 「人柱お宮」・・・天守台の下にお宮を祀った祠があり、これは、福原直高が築城の際、度重なる水害に工事が進まず人柱を立てることになり、上野六坊に住む孝行娘のお宮が一家を救うため、弁財天の木像を抱いて人柱となり、その後、築城は順調に進み、お宮は弁財天とともに鎮守としてあがめられたと伝えられている。

大分城址公園内に、府内城の天守を金属製パイプを用いて当時と同じ大きさで再現し、ライトアップします。 高さ約29m×幅約25m×奥行約23mの大きさと、LED約7万個のイルミネーション効果により幻想的な天守が観賞いただけます。約420年前に築かれ、その後約150年間の長きにわたり、府内の城下を見渡してきた往時の「天守」の姿がしのばれます。

大分城址公園仮想天守イルミネーション設置状況レポートhttp://www.city.oita.oita.jp/o170/machizukuri/toshi/1510823732190.html

【大分県/大分市】 大分駅前 大友宗麟公銅像

5月28日

以前、津久見市にある大友宗麟公墓は訪ねたことがあるが、大分駅ビルが新しくなり、駅前の広場に大友宗麟公銅像あり、その銅像を観に行くことにした。フランシスコ・ザビエルの銅像もあった。

大友宗麟とは、戦国-織豊時代の武将。戦国時代のキリシタン大名。享禄(きょうろく)3年生まれ。大友義鑑(よしあき)の長男。豊後(ぶんご),肥後など九州6ヵ国の守護と九州探題をかねる。キリスト教を保護し,南蛮貿易をおこなう。天正(てんしょう)6年受洗,10年少年使節をローマにおくる。薩摩(さつま)(鹿児島県)の島津氏の圧迫をうけ,豊臣秀吉の救援をもとめた。天正15年5月23日死去。58歳。名は義鎮(よししげ)。別号に宗滴,三非斎など。洗礼名はフランシスコ。

【大分県/大分市】 法心寺

5月28日

肥後(熊本県)の領主であった加藤清正公が建立した妙法蓮華経の五ケ寺のひとつです。慶長6年(1601)、日蓮宗の信者であった清正公は、京都本圀寺常林院日榮上人を招き、法心寺を建立しました。法心寺には清正公が着用した鎧や遺品が数々残っています。本堂の前にあるイチョウの木は大分市指定の名木で、別名を「逆さイチョウ」と言われており、本堂建立の時に清正公が持っていた枝が育ったもので、枝が逆さにでているという伝説があります。 清正が慶長16年に病死して以来、追善供養の法要が行われており、現在は二十三夜祭として鶴崎の夏の風物詩として親しまれています。<大分市観光協会 公式ホームページより>

【愛媛県/西宇和郡伊方町三崎】 国道九四フェリー

5月27日

大分県佐賀関港と愛媛県三崎港を往復するフェリーで、佐賀関から佐田岬半島の先端、三崎まで九州・四国間の最短航路(31km)を70分で結ぶ。 四国入りは山陽道で今治ICと高速道を走って来たが、帰りはフェリーに乗り九州は大分県に入ることにした。佐賀の関から近い鶴崎で、高速道で帰る予定を変更して、ホテルの予約ができたので、鶴崎泊りとなる。

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