【大分県/大分市】 府内城跡 (大分城址公園)

5月28日

今回のお城めぐりの最後の締めくくりは府内城跡。この後、高速道大分ICに向い帰路に着く。

府内城は、大分市街の中心に位置する梯郭式平城である。安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高が府内の荷落に築城を始めたが、福原氏は改易され、早川長政の府内領再封を経て、関ヶ原の戦いの後に3万5千石で入封した竹中重利が完成させた。大府内城は友宗麟とは関連はない。 「人柱お宮」・・・天守台の下にお宮を祀った祠があり、これは、福原直高が築城の際、度重なる水害に工事が進まず人柱を立てることになり、上野六坊に住む孝行娘のお宮が一家を救うため、弁財天の木像を抱いて人柱となり、その後、築城は順調に進み、お宮は弁財天とともに鎮守としてあがめられたと伝えられている。

大分城址公園内に、府内城の天守を金属製パイプを用いて当時と同じ大きさで再現し、ライトアップします。 高さ約29m×幅約25m×奥行約23mの大きさと、LED約7万個のイルミネーション効果により幻想的な天守が観賞いただけます。約420年前に築かれ、その後約150年間の長きにわたり、府内の城下を見渡してきた往時の「天守」の姿がしのばれます。

大分城址公園仮想天守イルミネーション設置状況レポートhttp://www.city.oita.oita.jp/o170/machizukuri/toshi/1510823732190.html

【大分県/大分市】 大分駅前 大友宗麟公銅像

5月28日

以前、津久見市にある大友宗麟公墓は訪ねたことがあるが、大分駅ビルが新しくなり、駅前の広場に大友宗麟公銅像あり、その銅像を観に行くことにした。フランシスコ・ザビエルの銅像もあった。

大友宗麟とは、戦国-織豊時代の武将。戦国時代のキリシタン大名。享禄(きょうろく)3年生まれ。大友義鑑(よしあき)の長男。豊後(ぶんご),肥後など九州6ヵ国の守護と九州探題をかねる。キリスト教を保護し,南蛮貿易をおこなう。天正(てんしょう)6年受洗,10年少年使節をローマにおくる。薩摩(さつま)(鹿児島県)の島津氏の圧迫をうけ,豊臣秀吉の救援をもとめた。天正15年5月23日死去。58歳。名は義鎮(よししげ)。別号に宗滴,三非斎など。洗礼名はフランシスコ。

【大分県/大分市】 法心寺

5月28日

肥後(熊本県)の領主であった加藤清正公が建立した妙法蓮華経の五ケ寺のひとつです。慶長6年(1601)、日蓮宗の信者であった清正公は、京都本圀寺常林院日榮上人を招き、法心寺を建立しました。法心寺には清正公が着用した鎧や遺品が数々残っています。本堂の前にあるイチョウの木は大分市指定の名木で、別名を「逆さイチョウ」と言われており、本堂建立の時に清正公が持っていた枝が育ったもので、枝が逆さにでているという伝説があります。 清正が慶長16年に病死して以来、追善供養の法要が行われており、現在は二十三夜祭として鶴崎の夏の風物詩として親しまれています。<大分市観光協会 公式ホームページより>

【愛媛県/西宇和郡伊方町三崎】 国道九四フェリー

5月27日

大分県佐賀関港と愛媛県三崎港を往復するフェリーで、佐賀関から佐田岬半島の先端、三崎まで九州・四国間の最短航路(31km)を70分で結ぶ。 四国入りは山陽道で今治ICと高速道を走って来たが、帰りはフェリーに乗り九州は大分県に入ることにした。佐賀の関から近い鶴崎で、高速道で帰る予定を変更して、ホテルの予約ができたので、鶴崎泊りとなる。

【愛媛県/大洲市】 大洲城

5月27日

大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国の守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城(じぞうがだけじょう)が始まりといわれています。 激動の戦国時代を経て、小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主となりますが、このころ4層4階の天守を中心とした本格的な近世城郭に整備されたのではないかと考えられています。<大洲市観光協会ホームページより>

【愛媛県/宇和島市】 宇和島城

5月27日

現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。 高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。その姿を現在に残しています。<宇和島市観光物産協会ホームページより>

【高知県/土佐清水市】 第38番札所 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺(さださん ふだらくいん こんごうふくじ)

5月27日

宿毛から、足摺岬は比較的に近いことから、金剛福寺に行ってみることにした。

四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、勅額「補陀洛東門」を受し、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。 岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、それに断崖に砕ける波涛、観世音さんの浄土を連想させ、自然の大庭園に圧倒させられるのだが、ここにたどり着く遍路の旅もまた壮絶を極める。前の三十七番札所から80余km、いまは車で約2時間余、歩いたら約30時間、3泊4日はかかり、四国霊場の札所間では最長距離で、まさに「修行の道場」である。<(一社)四国八十八ヶ所霊場会 公式ホームページより>

【高知県/高知市】 高知城 

5月26日  江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成し、土佐藩庁が置かれた。3層6階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれている。一豊により河中山城(こうちやまじょう)と名付けられたが、高智山城と名を変えたのち、現在の城名となった。本丸の建物が完全に残る唯一の城。

【愛媛県/松山市】松山城

5月26日

松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築き始めたお城です。

門・櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城と言われております。

松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。平成18年に「日本100名城」、平成19年には道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。 また、日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸にかけてあり、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本さくら名所100選(平成2年)」や「日本の歴史公園100選(平成18年)」の指定も受けています。

<HPより>

登城はリフトを利用。
帰り(下り)はロープウェイを利用。
ロープウェイ内にダイソンの送風機が露出した形で設置されていた。