平田城跡

10月7日 本耶馬溪-競秀峰、耶馬渓橋(オランダ橋)、青の洞門のあと、平田城跡へ。

平田城-白米城(まったけじょう)とよばれる城館跡。

建久年間(1190~1197)長岩城主野中重房が築城したもので、野中氏代々の抱城として、一族または重臣を城主におき山国川流域の備えにあてていた。天正16年(1588)黒田長政は、豊臣秀吉の命により豊前の諸城を落とし、長岩城に迫った。その時この城も攻められたが激しい戦いはしていない。長政は戦功のあった、黒田二十四騎の一人栗山備後利安(大膳の父)に居城として与えたものである。この城下は、田が広く米の生産に恵まれているので白米城と云われ、平田城とは最近の呼称である。黒田騒動で福岡藩52万石を支えた筆頭家老栗山大膳利章が生まれ育った城として有名である。城址は小高く、城としての構想は残っているが、当時のものと思われる遺構はない。(中津市教育委員会)

コメントは受け付けていません。