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笠置山かさぎやま
(笠木城跡)
▲ 笠置山(笠木城跡)
標高425m
コース

千石峡キャンプ場駐車場 ⇨ 千石峡キャンプ場登山口 ⇨ ガレ場 ⇨ 笠置山 ⇨ 分岐(宮田方面・幸袋方面) ⇨ 千石登山口(大山祇神社寄り) ⇨ 道路 ⇨ 花の水辺公園 ⇨ 千石峡キャンプ場駐車場

戦国時代には、大友氏、秋月氏、宗像氏が飯塚をめぐって争っていたため、山城が多くきづかれました。
宮若市と飯塚市の境界をなす「笠置山(かさぎやま)」は、標高425mの山城です。かつては南の嘉穂(かほ)盆地を見下ろし、北の千石峡(せんごくきょう)を背にするなど、自然の地形を利用して敵が攻めてくるのを防いだ天然の要塞でした。山頂には笠木城跡があり、本丸、二の丸、三の丸や空堀、石垣の跡などがみられます。笠木城の築造については、一説には永禄11年(1568年)以前に宗像氏の手によってつくられ、その後、秋月氏に移ったとされています。笠置山麓の千石には、大屋敷、小屋敷、屋敷町、小姓町などの字名が残り、当時の繁栄の様子が伺い知れるところです。また笠置山は、宮若市磯光(いそみつ)地区の天照(てんしょう)神社に祀られている祭神・饒速日尊(にぎはやのみこと)が降臨した山ともいわれています。饒速日尊は、天孫降臨(てんそんこうりん)をした神として知られる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の兄にあたり、古代の有力な豪族である物部氏(もののべし)の祖という説もある。
天正9年(1581)大友氏と秋月氏が激突し、八木山一帯が戦場になりました。千人塚は両軍の兵士の死体を集めて葬ったとこ ろと言われています。笠木城は笠置山の頂上におよそ500年前に作られ、秀吉の九州平定のとき落城しました。筑豊地域で は規模の大きい戦国時代の山城です。福岡県超低山100の本に「深山幽谷の感漂う照葉樹林の山」と紹介してあります。
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