城山 ( |
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▲ 城山 | |||
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標高774.1m | |||
コース | 鳥屋城跡登山口 ⇨ 林道 ⇨ 鳥屋城跡登口 ⇨ 城山(鳥屋城跡) |
【鳥屋城跡の由来】
1192年(建久3年) 鎌倉幕府が開かれ西遷御家人大友初代能直の六男時景(景直)は市萬田を館として鳥屋城や小牟礼城を築城したものと思われる。
1362年(貞治元年) 菊池武光は高崎城攻めの帰路、志賀氏房のこもる鳥屋城を囲み近地宗房が戦死、他に2人が討死、負傷者14人と志賀文書にあり落城した。
1586年(天正14年)島津義弘の2万と家久の2万が豊後へ進攻し、これに対し四国の連合軍が援軍として着陣したが戸次川の戦いで大敗、このとき鳥屋城主一萬田鎮実は島津軍に内通し、撤退後は大友宗麟の命で叔父の鑑之と従弟の統政の三名は切腹した。その後の城主は宗像鎮続となり400年余り栄えた一萬田氏は終わりました。
1592年(文禄元年) 豊臣秀吉の朝鮮出兵で大友吉統は敵前逃亡罪で豊後国を没収され鳥屋城主の鎮続も領地を失いました。その後1600年(慶長五年)石垣原の戦い (九州の関が原)で大友軍の左翼の大将を勤め戦死している。
鳥屋城は東西300m南北80mで東側に本丸と南曲輪、西方に二の丸と独立して三の丸がある。周辺には「大手宇土」「馬場」「侍ヶ久保」「城道」「屋敷」「庫敷」など地名が残っています。<鳥屋城跡保存会>