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一ノ岳
陣ノ尾山
▲ 一ノ岳 ▲ 陣ノ尾山
標高646.5m 標高695.7m
コース

駐車地 ⇨ 登山口 ⇨ 一ノ岳分岐 ⇨ 一ノ岳 ⇨ 陣ノ尾山(国土地理 一ノ岳) ⇨ 九電鉄塔 ⇨ 登山口 ⇨ 駐車地

佐賀方面、南畑ダムを過ぎたら国道385号線沿いに駐車地があり、そこに車を置き、車道を少し徒歩で戻ると、国道385号線から分かれ林道があり、そこを登山口まで 徒歩で・・・。 しばらくするとゲートがあり、その先しばらく歩くと、一ノ岳と陣ノ尾山との分岐。右に一ノ岳へと登って行く、切り開かれた 林道だが急勾配が 続く。やがて、石垣が見え城址と確認でき、 そこまでで林道は終り、あとは、本格的な登山となる。急勾配の上に落ち葉と残雪で滑るので、木に摑まりつつ上を目指し、陣ノ尾山分岐に。少し登ると一ノ岳の山頂。ここは、国土地理院の 地図では646.5m峰に山名はないようだ。次に、分岐まで戻り急坂を下り陣ノ尾山を目指す。勾配があるので滑らないように・・・。山頂手前に、脊振青少年の家のオリエンテーリングのコース なのか番号標識があった。ここは、国土地理院の地図には695.7mのピークに「一ノ岳」と書かれており、地元では「陣ノ尾山」と呼んでおり、最初に登った山頂が、地元では 646.5mのピークを 「一ノ岳」と 呼んでいるとのこと。
一ノ岳城(いちのたけじょう)/別名一瀬城・五箇山城/形式・・山城/筑紫郡那珂川町五ヶ山/鎌倉時代に千葉氏が築城?戦国期には筑紫氏の城となり、弘治 3(1557)年7月、ここにいた 筑紫惟門は大友氏侵攻を恐れて退去したという。翌月、大友軍の攻撃を受け落城。永禄2(1559)年に筑紫氏が奪還した。永禄10(1567)年、大友軍の攻撃を受けた筑紫惟門はここに籠ったという。 天正14(1586)年、北上してきた島津軍に攻略されたが、筑紫広門が奪還している
山頂一帯には今でも石垣や土塁が残り、網取や市ノ瀬には代官屋敷や城の内など当時を偲ばせる地名が各所に残っている。また、炭窯を作るとき鎧や刀片が多く出土したそうで、地元では 一ノ岳のどこかに軍用金が隠してあるという言い伝えもあるよう。
一ノ岳・陣ノ尾山の画像 画像をクリック→拡大
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