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城山
金山
コース

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▲ 城山(蔦ヶ嶽城つたがたけじょう ▲ 金山
標高369.2m 標高317.3m
早朝登られたのか?下山して来た女性の方に、分岐で道を尋ねると、右の自然歩道コースは楽しいとのこと、それでは、遠回りをして城山山頂を目指すことにする。南東の山腹を巻くように 自然林を行くが、意外と足に堪える、結構キツイかも? 汗をびっしょりかきつつ、山頂到着。途中、城跡を感じさせられる所もあり、景色も見れて、低山ながらも気持ち良い山でした。 山頂で常連さんに話を聞くも、キヌガサダケは、今日は無いようだと、常連さんもがっかりしていました。休憩後、金山へ行ってみる事にする。石峠を越え金山南岳へ、城山からここまで、 2k強でしたが、意外と急坂で、またもや足に堪える^^; 次に金山北岳へ到着。10メートルほど離れたところに三角点あり、確認後、金山南岳へもどり食事タイム。景色を眺めながら休憩 を取り、石峠へ、ここから右に回ることにする。後から思いましたが、城山西登山口から入り三郎丸分岐へ向かえば・・・今回は初めてなのに、地図を持たずに登ったのがマイナスでした。 舗装道を回り、駐車場に戻りました。

<城山の古城址>
城山は、その昔、赤馬山、蘿(蔦)嶽、嶽山などと呼ばれ、その山頂には、城址が残されています。この城山で最初に築かれた城は、どのゆなものかはよくわかりませんが、正治2年 (1200年)の記録に宗知宗が赤馬山城に住んでいたとされる記録があることから、このころ、すでに城はあったものと考えられます。建武3年・延元元年(1336年)4月3日の記録では、 宗像大宮司氏俊が、九州に落ちのびて再起を図る、後の室町幕府を開く足利尊氏を宗像館に招き赤馬山城を修復して蘿山城としたことが記され当時は、既存の城を改修して堅固なもの としたことが窺われます。とくに、永禄3年(1560年)の合戦で大友氏に敗れ、大島に逃れ再起を図った宗像大宮司氏貞が改修したときには、城の南北にそれぞれ大手口、石峠口門司口 の入口を設け、後の永禄12年の大友氏との合戦では城を囲まれる籠城戦となりますが、落城することなく持ちこたえた堅固なものでした。天正6年(1578年)銘のある宗像大社辺津宮本殿 の「第一宮 御宝殿置札」には、永禄3年の合戦のことや氏貞が安全のために蘿山城に入り、3年後、この城を嶽山と改名したことが記されています。この堅固な城も、豊臣秀吉の九州統治 により小早川隆景によって取り壊されました。現在では、山頂にある本丸や二の丸などの痕跡、城を護るために累々と築かれた曲輪や堀などの防衛網に往時の堅固な姿を映し見ることがで きます。<平成19年3月宗像市商工観光課>
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