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武士道のバイブルとも言われる『葉隠(はがくれ)』。その発祥の地は、現在の佐賀県佐賀市金立町(きんりゅうまち)にあります。


徳間書店から発行された『葉隠』は、1964年に「現代人の古典シリーズ 4」(神子侃訳)として刊行されたものが代表的な古書として存在
発行年 : 1964年3月
原 著 : 山本常朝、田代陣基
訳・編 : 神子侃
内 容 : 「武士道とは死ぬことと見つけたり」で知られる名著の訳・解説。


徳間書店から出版された『続・葉隠』は、江戸時代の武士道精神を記した『葉隠』の続編に当たる書物です。神子侃(かみこ ただし)による現代語訳・編訳で、1970年代に「現代人の古典シリーズ」として刊行されました。
発行年 : 1977年5月(初版)
原 著 : 山本常朝、田代陣基
訳・編 : 神子侃
内 容 : 葉隠の教え(武士としての心得、死生観)を、現代語で分かりやすく再構成・解説した書物。

二代佐賀藩主鍋島光茂に仕えた山本常朝は、光茂が没した元禄13年(1700年)に、金立町に隠棲。同藩士田代陣基が常朝を訪れ武士の心構えや生き方などを聞き、これを筆録したものが「葉隠」。その傍らに光茂夫人が亡夫追善のため建立した千部経塔が建っています。その東側には常朝の偉業を偲び「常朝先生垂訓碑」が建立されています。

現在、山林及び畑地等となっていて、葉隠の口述者山本常朝が隠棲(いんせい)した朝陽軒(ちょうようけん)(のち宗寿庵(そうじゅあん))等の遺構は残っていない。 ただその跡に「大乗妙典一千部」石塔があり、それより東方100メートルほどの所に「常朝先生垂訓碑」が建てられている。

元禄13年(1700)山本常朝は、佐賀藩2代藩主鍋島光茂死去のため落髪出家してこの朝陽軒(のち宗寿庵)に隠棲した。10年を経て同藩士田代陣基(つらもと)が自已修養のため、ここを訪れ教えを請い、のちの大小隈(だいしょうくま)での口述と合せて7年にわたり、その教訓を中心に筆録したのが葉隠11巻。

千部経塔は、佐賀藩2代藩主鍋島光茂の夫人が亡夫追善のために法華経一千部を自読した碑で「大乗妙典一千部、元禄十四年辛巳年始繙之而至正徳二壬辰年五月十六日圓満修」と刻まれている。

「常朝先生垂訓碑」は、昭和10年(1935)10月に建設されたもので、碑面の文字は武富時敏の書で、碑文は西村謙三の撰を中島雅明が書いている。また、碑の背面には、「憂世から何里あろうか山桜」「白雲や只今花に尋ね合ひ」の句が記されている。


山本 常朝(やまもと つねとも)
万治2年6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日(1719年11月21日)は、江戸時代の武士、佐賀藩士。武士道の書物『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称は神右衛門、俳号は古丸。山本常朝
田代 陣基(たしろ つらもと)
延宝6年(1678年) - 延享5年4月5日(1748年5月2日)[1])は、江戸時代の武士、佐賀藩士。通称は又左衛門。『葉隠』の筆記者。口述者山本常朝、その師であった湛然和尚、石田一鼎などと共に「葉隠の四哲」の一人に数えられている。
田代 陣基

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