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角埋山つのむれやま
コース

三島公園 >未廣神社 >三の丸跡 >二の丸跡 >角牟礼神社 >展望台 >角埋山山頂 >三島公園駐車場

▲ 角埋山
標高576m
くじゅうの帰り、玖珠の道の駅「童話の里くす」に立ち寄り付近の観光案内に目を通していると、角埋山(つのむれやま)/ 角牟礼城跡とあったので、行ってみることにした。 三島公園駐車場に車を置き、公園を抜けて未廣神社に登り、ここでお参りを済ませ、登山口へと足を進めると、コンクリートの長い上り坂に差し掛かり、次に石段、そして山道となる。 ここを抜けると、三の丸跡があり、見事な石垣が残っている。穴太積み石垣を横目に上に登って行くと、櫓跡、井戸曲輪跡があり、二の丸跡へ。先に進むと、角牟礼神社。先に、展望台があり、 ここを経由して、角埋山山頂へ、ここは角牟礼城本丸跡とされている。

三方を急峻な斜面で囲まれた角埋山は、頂上は平らで天然の要害と呼ぶにふさわしい切立った険しい岩盤が露出している。戦国期この天然の要害を利用して山城が築かれた。 山頂には不落の山城「角牟礼城」跡があり、搦手の城壁が見える。その周囲は照葉樹の原生林に覆われ、「鳥獣保護区」に指定され、動・植物の宝庫である。平成17年角牟礼城跡は、 国指定史跡となった。角牟礼城は「豊後国志」によると、1155年(久寿2)に源為朝が綾垣の庄松平に居住し、角牟礼に城を築いたと記述が残っている。文献資料に初めて登場するのは1475年 (文明7)である、その後は、1532年(天文2)の文書で、今から約450年前から、豊前側からの侵入を防ぐ豊後の境目の城として、玖珠郡衆により守られていた城である。1586年(天正14・15) に島津氏が豊後侵攻した際も唯一落城しなかった。天然の要害に加えて山頂近くに清水が湧き出ることから「難攻不落の城」として全国的に有名でもある。1593年(文禄2)には豊臣秀吉が、 文禄の役で失態をおかした大友義統を除国し、翌年に家臣の毛利高政を入部させた。毛利高政は1594年から関ヶ原の戦いがあった1600年(慶長5)まで日田・玖珠地方を支配した。 その後1601年に伊予より来島康親が入部したが、来島は一万四千石の小大名であり、城を持つことを許されず、現在の三島公園に陣屋を築き、角牟礼城はそのまま放置され、 長い歴史の幕を閉じた。 <つのむれ会HPより>

耶馬渓六十六景のひとつであるとともに、「角埋山と角牟礼城跡」としておおいた遺産に選定
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